「母さんを、うちで引き取れないかな」
夕食の途中で夫から言われ、妻はすぐに返事ができない。
夫の母が一人暮らしを続けるのは心配です。転倒も増え、食事も十分に取れていません。それでも、同居すれば日中に家にいる妻が世話をする流れになることは、何となく見えています。
「施設も考えた方がいいんじゃない」と答えると、夫は「自分の親なら、そんなに簡単に言えないはずだ」と声を強める。
親御さんを見捨てたいわけではありません。ただ、自宅へ迎えた後の入浴、排泄、通院、夜間の対応を、誰が担うのかが決まっていないのです。
反対に、自分の親を支えたい側には、「親を施設へ入れようとしている」「家族なのに助けてくれない」と見えることがあります。
夫婦の対立に見えても、実際には、親御さんへの思い、家庭へ持ち込める負担、介護を担う人の想定が食い違っています。
今夜決めるのは「在宅か施設か」ではありません
親御さんが入院した、転倒した、認知症の症状が進んだ。こうした出来事の直後は、夫婦とも焦っています。
その場で「家へ呼ぶ」「施設へ入れる」と最終結論を出そうとすると、相手の提案が親への愛情や冷たさの表明に聞こえてしまいます。
先に、現在の状態を五つに分けてください。
| 分ける項目 | 確かめる内容 |
|---|---|
| 親御さんの安全 | 一人で食事、服薬、排泄、移動、火の管理ができるか |
| 親御さんの希望 | 自宅、子どもとの同居、施設などをどう考えているか |
| 必要な介助 | 誰かが毎日行う必要があることと、介護サービスへ任せられること |
| 夫婦の生活 | 仕事、睡眠、子育て、住居、健康をどこまで変えられるか |
| 期限 | 今夜から必要な対応か、一か月かけて選べる問題か |
意見が一致していなくても、親御さんを一人にできない日や、退院予定日は待ってくれません。
そこで、最終方針とは別に、まず一週間から二週間の安全をどう保つかを決めます。
「施設か同居かを今夜決めるのではなく、次の二週間を安全に過ごす方法だけ決めたい」
この一文から始めると、夫婦のどちらかが負ける話ではなく、期限のある作業へ戻しやすくなります。
意見が違うのは、見えている介護が違うからです
親の実子は、これまで育ててもらった記憶や、弱っていく親への罪悪感を抱えています。
「家で見たい」という言葉の中には、親を安心させたい気持ちだけでなく、「施設へ入れたら後悔するのではないか」という恐れが入っていることがあります。
配偶者は、別の部分を見ています。
同居後の食事、洗濯、通院、夜間の物音。家計から出ていく費用。夫婦だけの時間がなくなること。介護が長期化したときに、自分が担い手として固定される可能性です。
施設を提案する人が冷たいとは限りません。在宅介護を希望する人が現実を見ていないとも限りません。
ただし、次のような前提が隠れている場合は、言葉にする必要があります。
- 家にいる時間が長い配偶者が介護すると思っている
- 親の年金だけでは足りない分を夫婦の貯蓄から出すつもりでいる
- 施設へ入れば家族の介護はなくなると思っている
- 自分のきょうだいも同じ程度に手伝うと思っている
- 介護のためなら仕事を辞めても何とかなると考えている
言わなくても分かるだろう、という部分ほど後から大きな争いになります。
親御さんが決めることと、夫婦が決めることを混ぜません
親御さんの生活については、本人の希望を中心に考えます。
一方で、親御さんが「子どもの家で暮らしたい」と希望しても、夫婦の共同生活へ一方的に入居を決められるわけではありません。
誰が決める範囲なのかを分けてください。
親御さんの意思を中心に考えること
- どこで、どのように暮らしたいか
- どの介護サービスを受けたいか
- 誰に身体介護や金銭管理を任せたいか
- どのような生活を続けたいか
夫婦で合意が必要なこと
- 夫婦の家で同居するか
- 共有の貯蓄や毎月の家計からいくら支出するか
- 配偶者がどの介護を、どの頻度で担うか
- 仕事、住居、子どもの生活をどこまで変えるか
- 親族が自宅へ出入りする範囲
親の実子ときょうだいで決めること
- 親御さんへの連絡や通院付き添いの担当
- 施設探しや介護サービスの手続き
- 親御さんのお金で不足する場合の費用負担
- 緊急時に現地へ向かう人
- 実家や家財の管理
配偶者は意見を聞かれる人であると同時に、自分の家、時間、お金を守る当事者です。「実子の決定を手伝う人」として扱うのではなく、家庭に持ち込む負担について同じ決定権を持つ人として話します。
同居への反対は、親御さんへの拒絶とは限りません
配偶者から「同居はできない」と言われると、自分の親そのものを拒まれたように感じることがあります。
しかし、拒んでいるのが親御さんではなく、二十四時間続く生活の共有や、介護担当が曖昧なまま始まることかもしれません。
「なぜ嫌なの」と責めるのではなく、条件を分けます。
「母と暮らすこと自体が難しいのか、それとも介護をあなたが担う形になるのが難しいのかを聞きたい」
「期限を決めた一時同居でも難しいのか、介護サービスが毎日入れば検討できるのかを知りたい」
一方、反対する側も「絶対無理」で終わらせず、自分が守らなければならない部分を伝えます。
「お母さんが嫌なのではない。夜間介護と排泄介助を私が担う前提なら同居できない」
「一か月の一時滞在で、日中と入浴を外部へ頼めるなら検討できる」
条件を出したからといって、最終的に同居へ同意する必要はありません。
夫婦の一方が強く拒んでいる状態で、先に親御さんを連れてくるのは避けてください。親御さんも、歓迎されていない空気の中で暮らすことになります。
「家で見たい」なら、誰が何をするかを一週間の予定にします
在宅介護という言葉だけでは、実際の負担が見えません。
次の介助を、曜日と時間へ置き換えます。
- 朝と夜の服薬
- 食事の準備と片づけ
- 排泄、着替え、入浴
- 掃除、洗濯、買い物
- 通院、薬の受け取り
- 夜間の見守り
- 介護事業所や病院との連絡
- 請求書、保険、申請手続き
たとえば、「夫の母を夫婦で在宅介護する」では足りません。
「平日の朝は訪問介護、昼は配食と見守り、火曜はデイサービス。通院は夫が有給を取り、妻は緊急連絡先にならない」
ここまで具体的にして初めて、家庭で続けられるかを判断できます。
実子が仕事をしており、配偶者が自宅にいるという理由だけで、身体介護を配偶者へ割り当てないでください。
配偶者が引き受ける役割は、本人が同意した範囲に限ります。
施設を提案するなら、家族がしなくて済むことだけを説明しません
施設へ入れば、食事や入浴、夜間の見守りを職員へ頼める可能性があります。
それでも、家族の役割がすべてなくなるとは限りません。
- 施設との連絡や面談
- 通院への付き添い
- 衣類や日用品の補充
- 医療や看取りに関する意思決定
- 費用の支払いと管理
- 状態が変わった場合の転居先探し
施設を勧める側は、費用や家族の役割まで調べてから話します。
「家で見られないから施設」ではなく、「夜間の二人介助が必要で家庭では対応できないため、夜間体制のある施設を候補にしたい」
必要な介護と家庭の限界をつなげると、施設入居が親を遠ざけるための提案ではないことを伝えやすくなります。
親御さんの「家にいたい」を、家族だけでかなえる約束にしません
親御さんが自宅を望む気持ちは、できるだけ尊重したいものです。
ただし、「家にいたい」という希望が、そのまま「家族が毎日介護する」という意味になるわけではありません。
本人へは、生活を続ける条件も一緒に伝えます。
「家で暮らす希望は分かった。ただ、私たちだけで朝晩の介護はできない。人に来てもらうことも一緒に考えたい」
「施設へ入るかを今決めるのではなく、家で安全に過ごすために何が必要かをケアマネジャーと見たい」
認知症があっても、最初から本人を話し合いから外しません。
説明を短くする、理解しやすい時間帯を選ぶ、写真や選択肢を使うなど、本人が意思を示しやすい方法を試します。
本人の答えがその都度変わる場合は、これまでの生活、繰り返し話していた希望、利用中の様子も含め、支援者と一緒に考えてください。
介護費用は、親御さんのお金と夫婦の家計を分けて考えます
施設費や介護サービス費が必要になると、「家族なのだから出すべき」「自分の親ではないのに、なぜ家計から出すのか」という対立が起こることがあります。
先に、親御さん本人の収入と資産を確かめます。
- 年金などの毎月の収入
- 預貯金
- 介護保険サービスの自己負担
- 医療費、家賃、固定資産税など現在の支出
- 公的な負担軽減制度を利用できる可能性
夫婦の家計から援助する場合は、金額と期間を決めます。
「毎月三万円を六か月まで」
「施設の入居一時金は出さず、日用品費だけ負担する」
「親の預金残高ときょうだいの負担を確認するまでは契約しない」
どちらか一方が、共有の貯蓄から継続的な介護費を約束しないでください。
きょうだいがいる場合も、人数で均等に割れば公平とは限りません。現地対応を担う人、費用を多く負担する人、手続きを行う人など、負担の形を分けて決めます。
仕事を辞める話は、介護体制を調べた後にします
「自分が仕事を辞めて介護する」と言われると、配偶者は家計の将来まで急に背負わされたように感じます。
介護離職は、本人だけの決断に見えて、夫婦の収入、年金、住宅費にも影響します。
退職を決める前に、勤務先の制度と介護サービスを調べます。
介護休業は、対象家族一人につき通算九十三日まで、三回に分けて取得できる制度です。厚生労働省は、休業期間を介護だけに専念する期間ではなく、仕事と介護を両立する体制を整える準備期間として案内しています。
勤務先によっては、介護休暇、短時間勤務、時差出勤、テレワークなどを利用できる場合もあります。
「辞めるかどうかを決める前に、会社へ使える制度を聞き、ケアマネジャーへ平日の日中を埋める方法を聞こう」
夫婦の一方が退職を望む場合も、退職後の月収、社会保険、老後資金まで出してから話します。
夫婦だけで同じ話を繰り返すなら、支援者を交えます
夫婦の話し合いでは、親御さんの状態について認識が違うことがあります。
近くで介護をしている側は、夜間の混乱や排泄の失敗を見ています。遠くから短時間会う側には、親御さんが普段どおりに見えることもあります。
既にケアマネジャーがいる場合は、夫婦と親御さんを交えた話し合いの時間を依頼してください。
「夫婦で在宅介護と施設入居の意見が分かれています。本人の希望、必要な介助、家族が提供できる時間を分けて話す場を設けてください」
持参するとよいのは、次の情報です。
- 直近一週間に起きた転倒、服薬忘れ、夜間対応
- 家族が現在行っている介護と所要時間
- 親御さんが希望している生活
- 夫婦それぞれが担えること、担えないこと
- 仕事の時間と休める日
- 毎月使える費用の上限
話し合ったからといって、施設契約やサービス変更が自動的に始まるわけではありません。
ケアマネジャーは、本人と家族の希望、心身の状態を踏まえてケアプランを作る役割があります。ただし、夫婦関係そのものを仲裁する専門家ではないため、介護以外の夫婦問題まで解決してもらう場ではありません。
介護認定を受けていない、担当者がいない場合は、親御さんの居住地を担当する地域包括支援センターへ連絡します。
話し合いでは、相手を説得するより「できない線」を出します
夫婦の話し合いがこじれると、相手の考えを変えることに時間を使ってしまいます。
それぞれが、三つに分けて伝えてください。
- できること:月二回の通院、施設への連絡、毎月一万円の援助
- 条件があればできること:訪問介護が毎日入るなら一時同居を検討する
- できないこと:夜間介護、仕事を辞めること、無期限の同居
話す時間は三十分程度に区切り、議題を一つにします。
同居の話をしている途中で、結婚当初の不満や、過去の親族関係まで扱うと結論が出ません。
「今日は、お母さんが退院した後の二週間だけ決める。昔の話はここでは扱わない」
声が大きくなったら、次の言葉で終えます。
「今は決められないので、今日はここで止める。明日、ケアマネジャーへ必要な介助を聞いてから続けたい」
合意できない間は、取り返せない決断を保留します
夫婦の意見が分かれたままでも、暫定的な体制は作れます。
二週間から一か月の期間を決め、次のような方法を組み合わせます。
- 訪問介護や通所介護を増やせるか検討する
- 短期入所を利用し、在宅と施設の両方を調べる
- きょうだいで交代して訪問する
- 配食、見守り、福祉用具を入れる
- 退院支援担当者へ一時的な受け入れ先を聞く
暫定期間中は、仕事の退職、自宅の売却、夫婦宅への無期限の転居、高額な施設契約など、元へ戻しにくい決断を急がない方が安全です。
ただし、親御さんの状態によっては、希望するサービスに空きがない場合があります。短期対応を始めたら、同時に次の候補も探してください。
安全が崩れているときは、夫婦の合意を待ちません
話し合いを続けられるのは、親御さんと介護する家族の安全が保たれている場合です。
次の状態があるときは、どちらの方針が正しいかを決める前に、ケアマネジャーや地域包括支援センターへ事実を伝えます。
- 食事や水分を十分に取れていない
- 薬の重複や飲み忘れが続いている
- 転倒しても一人で起き上がれない
- 火の消し忘れや無断外出がある
- 介護者が眠れず、仕事や生活を維持できない
- 家族が怒鳴る、たたく、放置するかもしれないと感じている
介護者自身が「このままでは手を出しそうだ」と感じたら、親御さんと距離を取り、別の家族や支援者へ連絡してください。
暴力が起きている、刃物を持っているなど身の危険が迫る場合は110番、けがや急病、意識の異常がある場合は119番を優先します。
配偶者が介護そのものを拒む場合も、理由を一つに分けます
「あなたの親のことには一切関わらない」と言われると、夫婦として見放されたように感じます。
ただ、過去に親御さんから傷つけられた、金銭問題へ巻き込まれた、これまで何度も一方的に負担を求められたなど、介護以前の経緯がある場合もあります。
配偶者へ身体介護や親族対応を強制することは避けます。
そのうえで、夫婦の生活へ影響することは話し合う必要があります。
「介護をしてほしいという話ではない。私が週に何日家を空けるか、家計からいくら使うかは、夫婦で決めたい」
配偶者が親御さんへ直接関わらなくても、実子が介護サービスの手配をし、きょうだいと分担する方法があります。
介護への参加と、夫婦としての情報共有を同じものにしないでください。
今日は、相手へ「二週間だけ決めたい」と送ります
今夜、在宅か施設かの結論をもう一度迫る必要はありません。
配偶者へ、次の一文を送ってください。
「親の今後を全部決めたいのではなく、次の二週間に必要な介護と、私たちができる範囲を二十分だけ話したい。できないことも出してほしい」
話すときは、親御さんの希望、必要な介助、夫婦ができること、使える金額の四つだけを扱います。
一致しない部分が残っても構いません。
「夜間介護は夫婦ともできない」「共有の貯蓄から出すのは月二万円まで」のように、同じ認識を一つ作れれば、ケアマネジャーへ伝える内容が決まります。
親御さんへの思いを同じにすることは難しくても、家庭で引き受けられる範囲は決められます。その範囲が見えれば、介護を愛情の勝ち負けではなく、続けられる生活の形として考え直せます。
















