車庫の壁に、新しい擦り傷があった。
親御さんへ尋ねると、「狭かったから少し当たっただけ」「誰だってそのくらいある」と言います。
けれども先週は、いつものスーパーから帰る途中で道が分からなくなり、近所の人に送ってもらっていました。黄色信号で止まらない、車線をはみ出す、助手席から声をかけると怒る。気になる場面が増えています。
「もう運転をやめて」と言えば、親御さんは「免許を取り上げるつもりか」と声を荒らげる。黙っていれば、事故が起きるかもしれない。
家族が迷うのは当然です。
運転をやめる話は、単に車へ乗らないという話ではありません。買い物、通院、友人との付き合い、家族内での役割、自分で生活を決める感覚まで変わるからです。
それでも、本人の自尊心を守ることと、危険な運転を続けてもらうことは同じではありません。
最初に分けるのは「話し合える状態」と「今すぐ止める状態」です
親御さんの運転が心配でも、すべてのケースで直ちに警察へ通報するわけではありません。
一方、事故の危険が目前にあるときは、家族会議を開いている場合ではありません。
| 現在の状態 | 優先する行動 |
|---|---|
| 小さな擦り傷、道順の間違い、判断の遅れなどが増えている | 出来事を記録し、早めに医療機関と安全運転相談窓口へつなぐ |
| 信号無視、逆走、アクセルとブレーキの踏み間違い、行方不明などがあった | 次の運転を控えてもらい、その日のうちに家族・主治医・警察の窓口で対応を考える |
| 飲酒、強い混乱、意識の異常がある状態で運転しようとしている | 同乗せず、安全な場所から110番へ連絡する |
| 現在走行中で、蛇行、逆走、事故などの差し迫った危険がある | 車種、色、ナンバー、現在地、進行方向を110番へ伝える |
親御さんと鍵を奪い合ったり、走り出した車の前へ立ったりすると、別の事故につながります。
今まさに危険な場合は、家族だけで止めようとせず、警察へ状況を伝えてください。
「認知症だから危険」ではなく、実際に起きた運転を残します
家族が警察や医師へ「最近、運転が危ないです」と話しても、それだけでは状況が十分に伝わりません。
危険な運転があった日、場所、内容を具体的に残します。
- いつもの道で曲がる場所を通り過ぎた
- 赤信号に気づかず、同乗者が声を上げて止まった
- 右折時に対向車へ気づくのが遅れた
- 駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えた
- 車庫、塀、ほかの車へ当てた跡が増えた
- 目的地や帰り道が分からなくなった
- 運転中の出来事を帰宅後に覚えていなかった
- 免許証の更新通知や違反について説明が変わる
写真を撮れる傷があれば、日付とともに残します。ドライブレコーダーがある場合は、必要な映像が上書きされる前に保存してください。
ただし、本人を追い詰めるための証拠集めにしないことです。
記録の目的は、「昔より下手になった」と責めることではなく、どのような場面で判断や操作が難しくなっているかを、医師や警察へ正確に伝えることにあります。
運転免許の問題と、認知症の診断は分けて考えます
道を間違えた、車を擦ったという出来事だけで、家族が認知症と決めることはできません。
視力・視野の低下、難聴、薬の影響、睡眠不足、脳や心臓の病気などが運転へ影響する場合もあります。
反対に、日常会話が普通にできていても、複数の情報を同時に判断する運転では問題が出ることがあります。
「認知症かどうか」と「現在、安全に運転できているか」は、関係はありますが同じ問いではありません。
家族だけで病名や免許の可否を決めず、次の二つを並行して進めます。
- 医療機関で、認知機能や身体状態を診てもらう
- 警察の安全運転相談窓口で、免許と運転について聞く
診断を行うのは医師です。運転免許の取消しや停止などを個別に判断するのは、都道府県公安委員会です。
「認知症だから返納して」では、話が止まりやすくなります
親御さんが運転中止を拒むとき、家族は危険を分かってもらおうとして、強い言葉を使いがちです。
「もう年なんだから」
「事故を起こしたら家族まで迷惑する」
「認知症なんだから運転できない」
これらは本人に、能力や人格を否定されたように聞こえることがあります。
話題を年齢や病名から、実際に起きた出来事へ戻します。
「高齢だからやめてほしいわけではない。昨日、信号に気づかず交差点へ入りかけたことを心配している」
「免許を今日返してほしいと決めているわけではない。安全に運転できる状態か、医師と警察へ一緒に聞きたい」
「次の受診まで、私が運転する形にしてほしい」
「一生運転しない」と迫るより、次の診察や相談までの一時停止として提案した方が、本人が受け入れられる場合があります。
親御さんが車で守っているものを先に聞きます
運転を続ける理由を、「頑固だから」で終わらせないでください。
本人には、車がなければ失う生活があります。
- 病院やスーパーへ自分で行けなくなる
- 配偶者を送迎できなくなる
- 農作業や仕事を続けられなくなる
- 友人や地域との付き合いが減る
- 家族の役に立てなくなる
- 外出のたびに子どもへ頼むことになる
家族が「バスがあるでしょう」と言っても、一日に数本しかない、停留所まで歩けない、荷物を持てないという地域もあります。
話し合いでは、次のように聞きます。
「車がなくなると、一番困るのは買い物、病院、仕事のどれ?」
困ることが分かれば、運転を止めた後の具体策を先に用意できます。
運転中止だけを求めると、本人には「生活を奪われる話」に聞こえます。買い物、通院、外出の代わりを同時に示すことで、安全と生活を一緒に考えられます。
次の運転を止めるための一時的な約束を作ります
受診や警察への相談まで数日かかることがあります。
その間も親御さんが運転する可能性があるなら、本人と次の約束を一つ決めます。
- 次の受診までは家族が運転する
- 夜間、雨天、高速道路では運転しない
- 一人で乗らず、家族が同乗する
- 買い物や通院の日程を家族と決める
- 車の鍵を家族が一時的に預かる
ただし、同乗すれば安全になるとは限りません。すでに信号無視、逆走、踏み間違いなどがある場合は、条件付きでの運転継続ではなく、運転自体を止める方向で警察や医師へつないでください。
鍵を預かる場合も、本人へ何も言わず隠し続けると、鍵を探して混乱したり、予備鍵で外出したりすることがあります。
「次の診察で安全を確認するまで、鍵は私が持つ。必要な外出は私が運転する」
理由と期間、代わりの方法を一緒に伝えます。
本人が興奮し、暴力や無理な運転につながりそうな場合は、家族だけで鍵を取り上げようとしないでください。
家族だけでも安全運転相談ダイヤル「#8080」へ電話できます
高齢や病気による運転が心配な本人や家族は、都道府県警察の安全運転相談窓口を利用できます。
全国統一の安全運転相談ダイヤルは、#8080です。電話をかけた地域を管轄する都道府県警察の窓口につながります。受付は原則として平日の執務時間内です。
電話では、次のように伝えてください。
「80歳の父の運転について家族からの相談です。道に迷う、赤信号に気づかない、車庫へ何度もぶつけることがあり、本人は運転をやめません。家族として次に何をすればよいか教えてください」
手元には、次の情報を置きます。
- 本人の年齢
- 免許証の有効期限が分かればその日付
- 事故、違反、危険運転の日時と内容
- 認知症などの診断や通院の有無
- 現在も運転している頻度
- 家族が特に恐れている場面
警察庁は、認知症の親御さんの免許を取り消してほしいという家族に対して、安全運転相談窓口や近くの警察署への相談を案内しています。
家族が電話しただけで、その場で免許が自動的に取り消されるわけではありません。状況に応じた手続きや対応を聞く入口です。
医師には「物忘れ」より、運転中の出来事を伝えます
受診時に「最近、物忘れが増えました」とだけ伝えると、運転の危険性が十分に共有されないことがあります。
診察では、記録した事実を短く伝えます。
「この一か月で、帰り道が分からなくなったことが二回あります」
「赤信号へ進みかけ、同乗者が止めました」
「車庫入れで壁へ三回ぶつけていますが、本人は覚えていません」
本人の前で言いにくい場合は、予約時に家族から情報を渡せるか、医療機関へ聞いてください。
医師へ求めるのは、家族に代わって強く叱ってもらうことだけではありません。
- 認知機能や身体状態の評価
- 薬や病気が運転へ及ぼす影響
- 運転継続についての医学的な意見
- 必要な検査や専門医療機関への紹介
- 本人へ説明するときの言葉
本人が受診を拒む場合は、まず家族だけで地域包括支援センターやかかりつけ医へ状況を伝え、受診の切り出し方を考えます。
75歳以上の認知機能検査だけを待つのは危険です
運転免許証の更新期間が満了する日の年齢が75歳以上の方は、更新時に認知機能検査などを受けます。
認知機能検査で「認知症のおそれがある」と判定されると、警察からの連絡により、臨時適性検査を受けるか、医師の診断書を提出する流れになります。
その結果、認知症と診断された場合は、聴聞などの手続きを経て、免許の取消しまたは効力の停止を受けることになります。
ただし、認知機能検査は医師による認知症の診断そのものではありません。また、次の免許更新が一年以上先ということもあります。
すでに危険な運転があるなら、「更新時に検査があるから」と待たず、医療機関と安全運転相談窓口へつないでください。
自主返納の話は、返した後の生活まで見せてから進めます
運転免許証の自主返納は、有効な免許を持つ本人が申請により取り消しを受ける制度です。
本人の求めがあることを前提に、一部の地域では代理人による手続きを扱う場合もあります。申請場所や必要書類は都道府県警察へ確かめてください。
自主返納後は、申請により運転経歴証明書を取得できます。本人確認書類として使えるほか、自治体や事業者によって交通機関の割引などを受けられる場合があります。
返納を勧める前に、親御さんの生活圏で使えるものを調べます。
- 路線バス、コミュニティバス、乗合タクシー
- 自治体の外出支援やタクシー助成
- 病院や介護事業所の送迎
- 移動販売、ネットスーパー、配食
- 家族、親族、近隣の人による送迎
- 運転経歴証明書による地域の支援
「家族がいつでも送る」と約束しても、続けられなければ親御さんは再び運転したくなります。
送迎を担う人、曜日、費用、予約方法まで決めます。
家族の意見が割れたら、免許返納への賛否ではなく事実へ戻ります
近くに住む家族は、「もう危なくて限界だ」と感じている。
遠方のきょうだいは、「電話では普通だし、田舎で車を取ったら生活できない」と言う。
見えている場面が違えば、意見が割れることがあります。
そのときは、親御さんの性格を評価するのではなく、次の情報を共有します。
- 危険な運転が起きた日時と内容
- 車の傷や事故の写真
- 本人の通院や診断の状況
- 車がなくなった後に困る用事
- 代わりに送迎できる人と回数
- 警察や医師から受けた説明
「返納させるかどうかを多数決で決めたいのではない。次の運転までに何をするかを決めたい」
このように議題を絞ります。
運転を止めた後に、本人の外出まで止めないようにします
運転中止後、家から出る回数が減り、人付き合いや活動が途切れることがあります。
親御さんにとって車が生きがいや役割だった場合、喪失感が強くなることもあります。
国立長寿医療研究センターの家族向け支援マニュアルでも、運転に代わる移動手段や、趣味・社会参加の機会を探すことが示されています。
運転を止める話と同時に、次の予定を一つ入れてください。
- 週に一度、家族と買い物へ行く
- 通院日はタクシーを予約する
- デイサービスや地域の集まりを見学する
- 友人との外出方法を一緒に考える
- 配偶者の送迎を別の家族やサービスへ引き継ぐ
車を手放しても、自分で行き先を決められる仕組みを残します。
今日は「危険だった運転」を一件だけ、日時つきで残します
今夜、親御さんに返納を約束させる必要はありません。
直近で最も危険だった運転を一件選び、次の四つを記録してください。
- 日時
- 場所
- 何が起きたか
- 事故にならなかった理由
たとえば、次のように書きます。
「7月26日午後2時、スーパー前の交差点。赤信号に気づかず進みかけ、助手席の家族が大声で伝えて停止した」
次の平日に、安全運転相談ダイヤル#8080へ電話し、その一件を伝えます。
免許を取り上げてもらうためだけの電話ではありません。次の運転が事故になる前に、家族だけでは判断できない部分を公的な窓口へ渡すための連絡です。















