施設から帰った夜、誰もいない実家の鍵だけが手元に残った
親御さんの施設入所が決まり、着替えや薬、日用品を運び終えました。
慌ただしい数週間が過ぎ、ようやく落ち着いた頃、今度は空いた家のことが気になり始めます。
冷蔵庫には食品が残り、郵便受けには封筒がたまっています。庭の草も伸びてきました。施設費の支払いが続く一方で、固定資産税、火災保険、電気代もなくなりません。
売った方がよいのかもしれない。
けれど、親御さんは「良くなったら家へ戻る」と話しています。子どもたちの間でも、「もう戻れないだろう」「本人が戻りたいと言っているうちは残すべきだ」と意見が分かれています。
施設へ入ったことと、自宅へ二度と戻らないことは同じではありません。
一方で、「戻るかもしれない」の一言だけで何年も空き家にすると、費用と建物の傷みが積み重なります。
今すぐ最終結論を出すのではなく、家を安全に保つ期間と、その間に確かめることを決める必要があります。
最初の一週間は、売却ではなく家を止めないために動きます
施設入所直後は、家の処分よりも、事故や紛失を防ぐ対応を優先します。
- 現金、通帳、印鑑、権利証、保険証券などを安全な場所へ移す
- 薬、食品、生ごみを確認する
- 冷蔵庫や給湯器など、使用を止める設備を決める
- 郵便物の転送や定期購読の停止を手配する
- 鍵を持つ人と本数を記録する
- 窓、玄関、物置の施錠を確かめる
- 雨漏り、倒木、塀、屋根材など危険な箇所がないかを見る
- 近隣へ、緊急時の連絡先を必要な範囲で伝える
電気、水道、ガスをすべてすぐ止める必要があるとは限りません。
ガスを閉栓しても、換気、通水、清掃、警報設備などのために電気や水道を残す場合があります。寒冷地では凍結対策も必要です。設備と地域の気候を踏まえ、各事業者や管理担当者へ聞いてください。
火災保険についても、居住中から空き家へ状態が変わったことを保険会社や代理店へ伝えます。現在の契約をそのまま継続できるか、補償内容の変更が必要かを確かめてください。
「戻れるかどうか」ではなく、いつ見直すかを決めます
入所したばかりの段階では、親御さんの体調も、施設での暮らしが続くかも分かりません。
この状態で売却を急ぐ必要はありませんが、無期限に保留することも避けます。
例えば、次のように期限を置きます。
「三か月は家を管理して残す。その間に、施設の生活へ慣れるか、自宅復帰の可能性、家の維持費、売却価格を調べ、三か月後にもう一度話す」
施設の担当者やケアマネジャーには、次のように尋ねます。
「今すぐ退所を決める話ではありません。現在の介護計画では、自宅へ戻る可能性をどのように見ていますか。外泊や一時帰宅を考える場合、家にどのような設備や支援が必要でしょうか」
施設側が家の売却を決めるわけではありません。
ただ、自宅復帰に必要な介護量や住宅環境が分かれば、「本人が希望しているから残す」だけでなく、現実に戻れる家かどうかを考えられます。
家をどうするか決められるのは、原則として所有者である親御さんです
親御さんが施設へ入っても、自宅の所有者が親御さんであることは変わりません。
子どもが固定資産税や管理費を払っていても、それだけで家を売ったり貸したりできるようにはなりません。
まず、土地と建物の登記事項証明書で、次を見てください。
- 土地と建物の名義人
- 単独名義か共有名義か
- 住宅ローンなどの抵当権
- 亡くなった家族の名義が残っていないか
親御さんが契約内容を理解し、自分の意思を伝えられる場合は、本人に選択肢を説明して意向を聞きます。
子どもが不動産会社との連絡や手続きを代わりに行うなら、何を任せるのかを記載した委任状などが必要になる場合があります。不動産会社や司法書士による本人確認と意思確認も行われます。
売却代金も家賃収入も、原則として親御さんの財産です。
子どもが将来の相続分として分けるものではなく、施設費や生活費など、親御さんのために管理します。
「家族だから決められる」と「所有者本人の手続を手伝える」は別です。売却、賃貸、解体、家財処分へ進む前に、名義と親御さんの意思を確かめてください。
認知症があっても、診断名だけで家を売れないと決まるわけではありません
認知症と診断されていても、本人が売却の意味、価格、売却後に戻れなくなることなどを理解して判断できる場合があります。
反対に、会話はできても、契約内容を理解できず、数分後には売却の話を忘れてしまう状態もあります。
重要なのは診断名だけでなく、その契約を理解し、自分で決められる状態かどうかです。
判断が難しい状態で、家族が親御さんの名前を書いたり、実印を押したりして契約を進めてはいけません。
本人の判断能力が不十分で、不動産の処分が必要な場合には、法定後見制度などが選択肢になります。
成年後見人等が、施設入所前に親御さんが住んでいた家を売却、賃貸、解体する場合は、居住用不動産の処分として家庭裁判所の許可が必要になることがあります。施設入所中で現在住んでいない家も対象になり得ます。
地域包括支援センターや家庭裁判所への第一声は、次の程度で構いません。
「親が施設へ入り、本人名義の家が空いています。本人は不動産の契約内容を理解することが難しい状態です。家の管理費と施設費が続いており、売却や賃貸に必要な権限と手続を知りたいです」
成年後見制度を利用すれば必ず売却できるわけではありません。売却の必要性や本人の生活・財産への影響を踏まえて判断されます。
残す・貸す・売るは、親御さんの生活へ何が残るかで比べます
| 選択肢 | 向いている状態 | 先に決めること |
|---|---|---|
| 期間を決めて空き家のまま管理する | 自宅復帰の可能性があり、維持費を負担できる | 管理期限、点検担当、年間費用、次の見直し日 |
| 家族が利用する | 親御さんが承諾し、将来の返還や費用負担を決められる | 使用期間、光熱費、修繕、家財、退去条件 |
| 第三者へ貸す | 当面戻る予定がなく、建物が賃貸に適している | 改修費、家賃、管理、契約期間、退去後の状態 |
| 売却する | 自宅復帰の見込みが低く、施設費や管理負担を減らしたい | 本人の意思、売却価格、税金、売却後の資金管理 |
| 解体して土地を売る・保有する | 建物の劣化が進み、そのまま使うことが難しい | 解体費、土地の需要、固定資産税等への影響 |
賃貸は、家を手放さず収入を得られる方法に見えます。
ただし、家財の移動、修繕、入居者対応、設備故障、確定申告などが生じます。将来親御さんが戻りたいと希望しても、契約期間中はすぐ明け渡してもらえない場合があります。
家族が住む場合も、「空いているから使う」では済ませません。
親御さんが戻る場合の退去、家賃の有無、修繕費、光熱費を決めます。家族が住んだことで、将来の税制や売却条件へ影響する可能性もあります。
空き家の維持費は、施設費とは別の月額として出します
親御さんの預金から施設費を支払えていても、空き家の負担が重なると資金の減り方が変わります。
次の費用を一年分集め、十二で割ってください。
- 固定資産税・都市計画税
- 住宅ローン
- 火災・地震保険
- 電気、水道、ガスなどの基本料金
- 草刈り、剪定、清掃
- 空き家管理の委託費
- 屋根、外壁、給湯器などの修繕予備費
- 家族が通う交通費
年間の税金・保険・管理費÷12+ローン返済+修繕予備費=空き家を残す月額
その金額を施設費と生活費へ加え、親御さんの年金や預貯金で何年間続けられるかを見ます。
子どもが払っている費用も記録してください。
「家族だから立て替える」で済ませると、きょうだい間で負担の見え方が変わります。誰が、いつ、何へ支払ったかを残し、親御さんの財産から精算するのか、家族負担とするのかを話します。
当面残すなら、月一回の見回りだけで足りるとは限りません
人が住まなくなった家は、窓を閉めたままにすることで湿気がこもり、設備や建材の傷みが進む場合があります。
定期管理では、次を見ます。
- 玄関、窓、勝手口の施錠
- 郵便物と不審な投函物
- 雨漏り、外壁、屋根、雨どい
- 庭木、雑草、側溝、隣地への越境
- 室内の換気、カビ、害虫、動物の侵入
- 排水口の臭い、漏水、凍結
- 台風、地震、大雪後の変化
遠方で通えない場合は、空き家管理業者などへ依頼する方法があります。
契約時には、見回りだけか、換気や通水を行うか、写真報告があるか、異常時にどこまで動くか、修繕を無断発注しないかを確かめてください。
近隣の方へ鍵を預け、草刈りや郵便物の処理まで頼み続けると、善意に負担を集中させてしまいます。近隣には、異変を見つけた際の連絡先を伝える程度にとどめます。
管理不全のまま残すと、税負担まで変わることがあります
家を売るか残すか決まっていなくても、所有者には適切に管理することが求められます。
屋根や外壁の落下、庭木の越境、害虫、悪臭、不法侵入などを放置すると、近隣への損害や事故につながる可能性があります。
そのまま放置すれば特定空家になるおそれがあると市区町村から判断された建物は、「管理不全空家」として指導や勧告の対象になる場合があります。
勧告を受けると、土地に適用されていた固定資産税等の住宅用地特例を受けられなくなる可能性があります。
自治体から通知が来た場合は、売却方針が決まっていなくても期限を見てください。
「親が施設へ入り、家の処分方法は検討中です。危険箇所への応急対応を先に進めたいので、市が問題としている場所と期限までに必要な措置を教えてください」
と伝えます。
親御さんの荷物は、空き家になったからといって遺品ではありません
家を管理しやすくするため、衣類や家具を片付けたくなることがあります。
しかし、親御さんが存命中の家財は、原則として親御さんの物です。
本人の許可なく、写真、手紙、仏壇、家具、貴金属などを処分しないでください。
最初に片付けるのは、腐る物、火災や転倒の危険がある物、施設で必要な物です。
判断に迷う物は写真を撮り、次のように聞きます。
「家をすぐ売る話ではないけれど、安全に管理できるようにしたい。残してほしい物、施設へ持ってきてほしい物、処分してよい物を少しずつ教えてほしい」
一度に家全体を見せると、親御さんも決めきれません。
衣類、食器、写真など、種類を一つずつ区切って聞く方が負担を減らせます。
売却を考えるなら、施設へ移った日を税務上の期限と一緒に見ます
親御さん本人が、以前住んでいた自宅を売却する場合、一定の要件を満たせば譲渡所得から最高三千万円を控除できる特例があります。
過去に住んでいた家は、原則として、住まなくなってから三年を経過する日の属する年の十二月三十一日までに売ることが要件の一つです。
施設へ入った日がそのまま税務上の「住まなくなった日」になるか、ほかの要件を満たすかは、実際の居住状況によって判断されます。
また、将来親御さんが亡くなった後に相続人が空き家を売る場合、一定の古い住宅などでは別の特別控除を利用できる可能性があります。
この制度では、親御さんが施設へ入った後、家を貸していた、家族が住んでいたといった事情が要件へ影響する場合があります。
税制だけで売却や賃貸を決める必要はありませんが、期限を知らないまま数年保留すると、使えた制度を利用できなくなることがあります。
税務署や税理士へは、
「親が〇年〇月に施設へ入り、本人名義の自宅が空いています。売却、賃貸、家族利用で迷っています。本人が現在売る場合と、将来相続後に売る場合に関係する期限や要件を教えてください」
と伝えてください。
解体は、売却方法と税金を確かめてから決めます
老朽化が進んだ家を見ると、先に解体した方が安全で売りやすいと考えることがあります。
危険な建物の除却が必要な場合はありますが、解体すれば必ず土地が売れやすくなるとは限りません。
解体費がかかり、住宅がなくなることで固定資産税等の住宅用地特例が適用されなくなり、土地の税額が増える場合があります。
売却時の税制でも、家を残したまま売る場合と、取り壊して土地を売る場合で要件が異なることがあります。
解体契約の前に、不動産会社へ更地と古家付きの両方で査定を依頼し、自治体へ解体補助の対象か、税務署へ売却特例への影響を尋ねてください。
きょうだいの話し合いは、「売るか」ではなく三つの担当から始めます
兄は「親の希望どおり残したい」、妹は「管理できないから売りたい」。この状態で売却の賛否を話しても、同じ言葉が繰り返されがちです。
先に決めるのは、次の三つです。
- 誰が親御さんの意思を聞くか
- 誰が家を点検し、近隣や自治体の連絡を受けるか
- 誰が税金、保険、修繕費を記録するか
家族へは、次のように伝えます。
「売るか残すかを今日決めるのではなく、三か月間どう管理するかを決めたい。三か月後に、親の希望、自宅復帰の見込み、維持費、査定額をそろえてもう一度話したい」
残したい人が管理をすべて負うべきとも、近くに住む人が当然に引き受けるべきとも限りません。
移動時間、費用、親御さんとの関わり方を含め、負担を見える形に戻してください。
今日は家の処分を決めず、次に見に行く日を決めます
空き家になった実家のことを考えても、売却、認知症、施設費、相続まで一度に結論は出ません。
今日は、次に家へ行く日だけを決めてください。
その日に見るのは、郵便物、冷蔵庫、通帳などの重要書類、雨漏り、庭木、施錠の六つです。
親御さんへは、次の一文を伝えます。
「家を売ると決めたわけではないよ。しばらく安全に残すために、中を見て、毎月いくらかかるか調べたい」
家を残すのか、貸すのか、売るのかは、その後に決められます。
まずは、誰も住んでいない家を、誰かが状態を把握し、次の見直し日が決まっている家へ変える。それが、施設入所後の実家を放置しない最初の区切りになります。


















