屋根の修理にまとまった費用がかかる。二階へ上がる階段も、以前よりつらくなった。
子どもからは、「家を売って、駅や病院に近い賃貸へ移った方が安心では」と言われています。
たしかに、家を売ればまとまったお金が入ります。庭の手入れや修繕からも解放されるでしょう。
けれども、賃貸へ移れば家賃は一生続きます。高齢になってから部屋を借りられるのか、保証人はどうするのか、さらに年齢を重ねて再び引っ越すことにならないか。考えるほど、今の家を手放す決心がつかなくなります。
この迷いは、家への愛着だけから生まれるものではありません。
一度売った家には簡単に戻れない一方、賃貸での暮らしがまだ具体的に見えていないため、判断できないのです。
最初に売却価格を調べるのではなく、「移った後の暮らしが本当に続けられるか」から見ていきます。
売却査定より先に、借りられる賃貸住宅を探します
家を売った後に賃貸住宅を探せばよい、と考える方もいます。
しかし、高齢者の入居では、年金などの収入、家賃保証会社の審査、緊急連絡先、健康状態などについて確認を求められることがあります。
売却代金が入る予定でも、それだけで希望する物件へ必ず入居できるとは限りません。
売却を申し込む前に、住みたい地域の不動産会社へ次のことを尋ねます。
- 年金収入でも申し込める物件があるか
- 連帯保証人がいない場合、家賃保証会社を利用できるか
- 緊急連絡先には誰を登録できるか
- 年齢について入居条件が設けられていないか
- 普通借家契約か、定期借家契約か
- 介護サービスや見守りを利用する場合に制限がないか
- 入居審査から契約まで、どの程度の期間がかかるか
物件を今すぐ決める必要はありません。
「70代の夫婦で、持ち家の売却後に入居する予定です。年金収入で申し込める物件と、必要な保証条件を教えてください」
このように伝え、現実に借りられそうな物件があるかを先に調べます。
「家がいくらで売れるか」と同じくらい、「売った後にどこへ住めるか」が重要です。転居先の見通しが立つまでは、売買契約を急がなくて構いません。
売却価格ではなく、すべてを差し引いた手元資金を出します
不動産会社から「3,000万円前後で売れそうです」と言われると、3,000万円を老後資金にできるように感じます。
実際に使えるのは、そこから住宅ローン、売却費用、税金、引っ越し費用などを引いた金額です。
売却後の手元資金 = 売却価格-住宅ローン残高-売却にかかる費用-税金-転居費用
| 差し引く項目 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 住宅ローン残高 | 売却時に返済するローンと、完済に伴う費用 |
| 売却にかかる費用 | 仲介手数料、印紙税、登記関係費用、測量・解体など必要に応じて発生する費用 |
| 税金 | 売却益が出た場合の譲渡所得税など。特例を使える場合もあります |
| 転居前後の費用 | 引っ越し、不用品処分、敷金・礼金、保証料、火災保険、前家賃など |
| 当面残すお金 | 医療、介護、家電故障、再転居などに備える予備費 |
住宅ローンが残っている場合は、売却代金で完済できるかを金融機関へ確かめます。売却価格より残高の方が大きければ、差額を自己資金で用意しなければ売却できないことがあります。
自宅を売って利益が出る場合、一定の要件を満たせば、譲渡所得から最高3,000万円を控除できる特例があります。
ただし、控除額以内だから何もしなくてよいわけではありません。特例を使うには確定申告が必要で、居住状況や過去に利用した特例などの条件があります。
不動産会社の査定を受けるときは、「いくらで売れるか」だけでなく、次の質問をしてください。
「住宅ローン、仲介手数料、登記、税金の見込みを含め、最終的に手元へ残る金額を計算したいです」
売却代金で家賃を何年払えるかを計算します
売却後に2,000万円以上が残れば、十分に見えるかもしれません。
しかし、そのお金を生活費にも家賃にも使うのであれば、何年もつかを分けて考える必要があります。
賃貸住宅の年間費用には、家賃だけでなく、共益費、更新料、保証料、保険料なども含めます。
年間の住居費 = 家賃と共益費の12か月分+更新・保証・保険などの年換算額
たとえば、家賃と共益費が月9万円、更新料や保証料などを月平均5,000円として考えると、住居費は月9万5,000円です。
年間では114万円、20年間では2,280万円になります。家賃の値上がりや引っ越し費用は含んでいません。
売却後の手元資金が2,500万円でも、そのすべてを家賃へ使えば、医療費、介護費、日常の赤字を補うお金が残りません。
次の二つに分けてください。
- 医療、介護、生活費の不足に備えて残すお金
- 将来の家賃へ充てられるお金
家賃へ充てられる資金 ÷ 年間の住居費を計算すれば、売却代金で家賃を何年払えるかのおおよその目安が見えます。
60代で転居する場合は、20年だけでなく、90歳、95歳まで暮らす場合も試算しておく方が安全です。
今の家に住み続ける費用も、家賃と同じ期間で比べます
持ち家は、住宅ローンを完済すれば住居費がかからないと思われがちです。
実際には、固定資産税、火災保険、修繕、設備交換などが続きます。マンションであれば、管理費や修繕積立金もあります。
一方、賃貸では大規模修繕を自分で負担しない代わりに、家賃を払い続けます。
| 持ち家に残る場合 | 賃貸へ移る場合 |
|---|---|
| 固定資産税、保険、修繕費がかかる | 家賃、共益費、更新・保証費用が続く |
| 大きな修繕が一度に発生することがある | 設備修理は貸主負担となる場合が多い |
| 階段、庭、雪かきなど身体的な負担が残る | 平屋や駅近など、暮らしに合う場所を選べる |
| 住み慣れた地域と人間関係を保てる | 環境や近所付き合いを一から作る必要がある |
| 家賃はないが、資産が自宅に固定される | 売却資金を現金化できるが、家賃で減っていく |
比べる期間をそろえることがポイントです。
持ち家の今年の修繕費と、賃貸の今月の家賃だけを比べても判断できません。今後10年、20年で予想される費用を並べます。
屋根や外壁、給湯器、水回りの修理が必要なら、業者から見積もりを取り、住み続ける場合の費用へ入れてください。
マンションでは、現在の管理費や修繕積立金だけでなく、将来の増額予定や一時金の可能性も管理組合の資料で確かめます。
三か月だけ「賃貸へ移ったつもり」で暮らしてみます
計算上は家賃を払えるように見えても、実際の生活で余裕が残るかは別です。
売却前に、候補物件へ移った場合の毎月の住居費を出します。
次に、今の家で毎月かかっている住居費との差額を、三か月間だけ別の口座へ移してみてください。
たとえば、現在の固定資産税や修繕積立を月換算すると4万円、転居後の家賃などが9万5,000円なら、差額は5万5,000円です。
毎月5万5,000円を使わずに生活できるか試します。
三か月で食事や通院を削らなければ続かないなら、その家賃は将来の負担になる可能性があります。
反対に、無理なく残せたなら、賃貸へ移る家計が現実に近づきます。
この方法なら、家を手放さずに転居後の暮らしを試せます。
賃貸契約は、家賃以外に「何年住めるか」を見ます
老後の転居では、住み替え回数をできるだけ減らしたい方が多いでしょう。
そのため、契約書では「普通借家契約」か「定期借家契約」かを確かめます。
定期借家契約は、契約で決めた期間が満了すると更新されずに終了します。貸主と借主が合意すれば再契約できますが、必ず同じ条件で住み続けられるとは限りません。
契約前には、次の点を聞いてください。
- 普通借家か定期借家か
- 定期借家なら、期間満了後に再契約できる見込みがあるか
- 家賃の改定条件
- 更新料と家賃保証会社の更新費用
- 退去時に必要な手続きと費用
- 入院や介護施設への入居時に、中途解約できるか
- 配偶者が亡くなった後も、残された人が住み続けられる契約か
エレベーターの有無だけでなく、玄関から道路までの段差、浴室やトイレ、ゴミ出しの場所も見ます。
元気な今だけでなく、杖を使うようになった場合や、家族が送迎する場合を想像してください。
高齢を理由に物件探しが進まないときの制度があります
複数の不動産会社へ問い合わせても、高齢であることや保証人がいないことを理由に、物件がなかなか見つからない場合があります。
そのときは、一般の賃貸情報だけで探し続けなくても構いません。
住宅セーフティネット制度には、高齢者などの住宅確保要配慮者の入居を拒まない登録住宅があります。
また、居住支援法人では、物件情報の提供、入居に関する相談、家賃債務保証、見守りなどを行っている場合があります。
改正住宅セーフティネット法の施行により、日常の安否確認、訪問による見守り、福祉サービスへの接続を行う「居住サポート住宅」の制度も設けられています。
地域によって登録住宅や支援内容は異なるため、市区町村の住宅担当窓口、居住支援協議会、居住支援法人へ次のように伝えます。
「持ち家を売って賃貸へ移ることを考えています。高齢者が申し込める住宅と、保証人がいない場合の居住支援について知りたいです」
高齢者向けの「終身建物賃貸借」という制度もあります。認可を受けた事業者が、入居者が生きている間は存続し、死亡時に終了する契約を結ぶ仕組みです。
利用できる物件は限られるため、希望地域にあるかを早めに調べます。
査定額が最も高い会社へ、すぐ売却を任せないでください
売却を考え始めると、不動産会社から査定を受けることになります。
査定額は、その金額で必ず売れるという約束ではありません。
高い査定額を提示されても、売り出した後に値下げを提案されることがあります。反対に、早く買い取る代わりに、市場で買い手を探すより価格が低くなることもあります。
複数の会社へ査定を頼み、金額だけでなく根拠を比べます。
- 近隣で実際に成約した物件
- 建物の状態や修繕履歴
- 売れるまでの予想期間
- 仲介による売却と、業者による買取の違い
- 値下げが必要になる可能性
- 契約後にかかる費用
- 売却後に手元へ残る見込額
急いでいない場合は、査定を受けた日に媒介契約を結ばなくても構いません。
「今日は査定額と売却後の手取り見込みだけ受け取り、家族と賃貸物件を確認してから決めます」
そう伝えて持ち帰れます。
共有名義・住宅ローン・税金が残る家は、売り出す前に止まります
夫婦や親子の共有名義になっている家は、原則として所有者全員の合意がなければ、家全体を売ることはできません。
相続した家で名義変更が終わっていない、住宅ローンが残っている、境界が分からないといった事情がある場合も、売却準備に時間がかかります。
まず、登記事項証明書、住宅ローン残高、購入時の契約書や領収書を確かめます。
購入時の資料は、税金の計算に使うことがあります。古い家だから不要だと思わず、売却後の確定申告が終わるまで保管してください。
権利関係や税額が分からない場合は、不動産会社だけで判断せず、司法書士、税務署、税理士など、内容に合う窓口へ分けて聞きます。
リースバックは「売って別の賃貸へ移ること」とは違います
住み慣れた家から離れたくない方へ、「家を売った後も、そのまま家賃を払って住めます」とリースバックを勧められることがあります。
リースバックは、自宅を売却し、買主と賃貸借契約を結んで同じ家へ住み続ける仕組みです。
引っ越しを避けられる一方、家の所有権はなくなり、その後は家賃を支払います。
確認するのは、売却価格だけではありません。
- 周辺相場と比べた売却価格
- 家賃と将来の値上げ条件
- 普通借家か定期借家か
- 何年間住める契約か
- 買い戻せる条件と価格
- 修繕費を誰が負担するか
- 家賃を払えなくなった場合の扱い
国民生活センターには、強引な勧誘、家賃の値上げ、認知症の高齢者が相場より安い価格で売却したといった相談が寄せられています。
自宅を不動産業者へ売却した契約は、一般的な訪問販売のようにクーリング・オフできません。
長時間の勧誘を受けている、今日中に契約するよう求められている、家族へ話さないよう言われた場合は、その場で署名しないでください。
ご家族は「危ないから売ろう」ではなく、困っている場所を聞きます
子ども世代から見ると、階段、庭の手入れ、災害時の避難、運転を続けなければ買い物できない立地などが心配です。
一方、親御さんや配偶者にとって、その家は単なる不動産ではありません。
近所の人とのつながり、家族の記憶、自分で暮らしてきた証しでもあります。
「もう管理できないから売った方がいい」と言われれば、家だけでなく、生活を取り上げられるように感じることがあります。
最初の会話では、売却への賛否を決めません。
「売ると決めたいわけではないよ。今の家で困っていることと、賃貸へ移ったら困ることを一つずつ比べたい」
困っている場所が階段だけなら、手すりや生活場所の変更で対応できるかもしれません。
修繕費と生活費の両方が重いなら、売却を具体的に進める理由になります。
夫婦で意見が違う場合も、「家への思い」だけをぶつけ合うのではなく、手元資金、将来の家賃、通院、買い物、介護のしやすさへ話を戻します。
滞納や危険がある場合は、通常の住み替え計画とは分けます
次の状態がある場合は、時間をかけて比較するだけでは間に合わないことがあります。
- 住宅ローンや固定資産税の滞納通知が届いている
- 差押え、競売、期限付きの通知が届いている
- 雨漏り、傾き、腐食など、住宅の安全に関わる問題がある
- 階段や浴室で転倒を繰り返している
- 本人が理解しないまま売却書類へ署名しようとしている
- 不動産会社から繰り返し強い勧誘を受けている
住宅ローンを滞納している場合は、売却を急ぐ前に金融機関へ現在の残高と期限を確かめます。
契約内容や権利関係が分からない場合は、届いた通知を持って法律相談へつなげます。
強引な勧誘や説明と違う契約が疑われる場合は、消費者ホットライン188から地域の消費生活相談窓口へ相談できます。
建物に倒壊や火災など差し迫った危険がある場合は、家の中で結論を出そうとせず、安全な場所へ移ることを優先してください。
今日は候補の賃貸住宅を一件だけ、売却後の目で見ます
今夜、家を売るかどうかまで決める必要はありません。
住みたい地域の賃貸住宅を一件だけ選び、次の項目を見てください。
- 家賃と共益費
- 敷金、礼金、保証料などの初期費用
- 普通借家か定期借家か
- 高齢者の入居条件
- 駅、病院、スーパーまでの距離
- 階段、エレベーター、室内の段差
その物件に20年間住むと仮定し、家賃と共益費を合計します。
まだ査定を申し込まなくても構いません。
「家を売ればいくらになるか」ではなく、「売った後、どのような家で、毎月いくら払いながら暮らすのか」が見えれば、迷いは具体的な比較へ変わります。


















