「最近、同じ話が増えたよね。認知症なんじゃない?」
心配して口にしただけなのに、親御さんの表情が変わる。
「年寄り扱いするな」
「お前の方がおかしい」
「もう来なくていい」
こちらは責めるつもりではなかったのに、その日から電話をかけにくくなることがあります。
しかし、親御さんの家には、同じ食品がいくつも並んでいる。支払期限を過ぎた封筒もある。以前なら間違えなかった予定を何度も聞いてくる。
放っておくのも心配です。もう一度話せば、また怒らせるかもしれない。何も言わなければ、事故や金銭トラブルにつながるのではないか。
この間で、ご家族は立ち止まります。
親御さんを納得させて「自分は認知症かもしれない」と認めてもらうことが、最初の目標ではありません。
今起きている変化を、体調や生活の問題として一度診てもらえる形に変える。それが先です。
怒ったことだけで、認知症とは決められません
年齢を重ねて怒りっぽくなったように見えても、その理由は一つではありません。
認知症に伴う行動・心理症状として、怒り、暴言、拒否、妄想などが現れることはあります。一方で、次のような身体や生活の問題でも、落ち着かなくなったり、言葉が強くなったりすることがあります。
- 痛み、発熱、脱水などの体調不良
- 便秘や尿が出にくい状態
- 眠れていない、昼夜が逆転している
- 薬が増えた、飲み方を間違えた、薬の影響が出ている
- 耳が聞こえにくく、会話を責められているように受け取った
- 見慣れない場所や人が増え、落ち着かない
- うまく説明できないことを何度も問い詰められた
- 生活を取り上げられるのではないかと警戒している
認知症かどうかは、家族との会話だけでは判断できません。
「怒ったから認知症」「認知症だから何を言っても仕方がない」と決めるのではなく、いつから、どんな場面で変化したかを見ます。
数時間から数日で急に変わったときは、認知症の話し合いを後回しにします
認知症による変化は、一般に一定の時間をかけて表れます。
昨日まで普段どおりだった人が、急に話が通じなくなった。家の中で迷う。見えない物を怖がる。昼夜を問わず興奮する。
このような急な変化は、感染症、脱水、薬の影響、身体の病気などによる「せん妄」の可能性もあります。認知症がある人にも起こり、見た目だけでは区別しにくいため、いつもの物忘れとして様子を見続けないでください。
| 親御さんの状態 | 優先する対応 |
|---|---|
| 以前から少しずつ物忘れや怒りっぽさが増えている | 経過を記録し、かかりつけ医や地域包括支援センターへ相談する |
| 数時間から数日で急に混乱し、会話や行動が変わった | 当日中を目安に医療機関へ連絡し、急な変化であることを伝える |
| 顔の片側がゆがむ、片腕に力が入らない、ろれつが回らない、言葉が出ない | 脳卒中を疑い、すぐ119番へ連絡する |
| 意識がもうろうとしている、突然の激しい頭痛、呼吸が苦しい | すぐ119番へ連絡する |
| 刃物を持つ、殴る、物を投げ続けるなど、誰かがけがをする危険がある | 距離を取り、安全な場所へ移る。身の危険が迫る場合は110番、けがや急病は119番を優先する |
救急車を呼ぶか迷うほどの急な変化があるときに、本人へ「認知症だから病院へ行く」と説明する必要はありません。
「急に話し方が変わったので、体に異常がないか診てもらおう」
この程度の説明で構いません。
「認知症」という言葉が、親御さんには別の意味で聞こえることがあります
ご家族が「早く診てもらった方がよい」と思う一方で、親御さんは別のことを恐れている場合があります。
- 車を取り上げられるのではないか
- 通帳を管理されるのではないか
- 施設へ入れられるのではないか
- 家族から何も任せてもらえなくなるのではないか
- 近所や親戚に知られるのではないか
- 自分が家族の負担になったと認めることになるのではないか
「認知症かもしれない」という一言が、親御さんには「もう自分では何も決められない人だ」と宣告されたように聞こえることがあります。
また、本人が変化を十分に自覚できていない場合もあります。
ご家族から見れば明らかな間違いでも、本人の中では筋が通っています。「忘れていることを覚えていない」状態なら、何度証拠を示されても、突然責められたように感じるでしょう。
怒りは、認知症を隠している証拠とは限りません。
怖さ、恥ずかしさ、混乱、聞き取りにくさ、言葉にできない体調不良が、怒った形で外へ出ている可能性もあります。
怒り始めた場では、正しさを証明しないでください
親御さんが声を荒らげたとき、その場で診察の必要性を納得させようとしても、話は進みにくくなります。
まず、会話を終えて安全を確保します。
- 一度に複数の家族で囲まない
- 声を大きくして言い返さない
- 忘れたことを試す質問を続けない
- スマートフォンの履歴や請求書を顔の前へ突きつけない
- 腕をつかんだり、出口をふさいだりしない
- 刃物や重い物が近くにある場合は、無理のない範囲で距離を取る
話を終える言葉は、短くします。
「分かった。今日はこの話をやめるね」
「責めたいわけではないよ。いったん休もう」
「今すぐ決めなくていい。体調のことだけ、また聞かせて」
ここで「でも本当に忘れているでしょう」と付け足すと、会話が再開してしまいます。
その日は引き下がって構いません。危険がなければ、数時間から数日置き、別の入り口から話します。
怒っている最中の目標は、受診の同意を取ることではありません。本人と家族がけがをせず、次に話せる状態で会話を終えることです。
次の会話では、病名ではなく「起きたこと」を一つだけ扱います
「認知症」「ぼけ」「物忘れがひどい」といった評価の言葉は避けます。
代わりに、本人も確認しやすい出来事を一つだけ取り上げます。
「昨日、薬が二回分残っていたのが気になった」
「最近、夜に何度も起きているみたいだけれど、眠れている?」
「同じ請求書が二枚あって、支払いが分かりにくそうだった」
「この前、帰り道が分からなくなったと聞いて、体調が心配になった」
避けたいのは、出来事を何個も並べて追い込むことです。
「薬も忘れた」「約束も忘れた」「同じ物も買った」と続けると、本人は診察の話より、自分を守ることに力を使います。
一回の会話で扱うのは一件。時間も十分程度で構いません。
受診は「認知症の検査」ではなく、困っている体調から誘えます
もの忘れ外来へ行こうと伝えるだけで拒まれる場合は、普段のかかりつけ医から始められます。
認知症の可能性だけでなく、体の病気、薬の影響、睡眠、聴力などを含めて見てもらう意味があります。
親御さんが気にしている症状を入り口にします。
「最近眠れていないから、薬が合っているか先生に聞こう」
「血圧の診察のときに、ふらつきと薬のことも一緒に聞かない?」
「私も先生へ伝えたいことがあるから、一緒に行かせて」
「認知症と決めるためではなく、体調の原因を見てもらいたい」
親御さんをだまして連れて行き、診察室で突然「認知症の検査をしてください」と切り出すと、家族や医療機関への不信が強くなることがあります。
すべてを細かく説明できなくても、「最近の体調と生活の変化を医師へ聞きたい」と伝えておく方が、次の受診につながりやすくなります。
医師へ見せる記録は、物忘れの回数より「生活への影響」を残します
「最近、何となく変です」だけでは、診察する側も状況をつかみにくくなります。
一週間から二週間ほど、次の内容を記録すると、家庭で何が起きているか伝えやすくなります。
- 日付と時間帯
- 怒る直前に何があったか
- 本人が言ったこと、行ったこと
- どのくらい続いたか
- 睡眠、食事、水分、排便、排尿の様子
- 痛み、発熱、ふらつきなどの体調変化
- 薬の追加、変更、飲み忘れ
- 何をすると落ち着いたか
- 買い物、支払い、運転、火の元など生活への影響
「性格が悪くなった」「わざと困らせる」といった評価ではなく、見聞きした事実を書きます。
たとえば、次のような記録です。
「7月20日午後7時。夕食前に薬を勧めると『毒を飲ませる気か』と大声になった。二十分ほど続いた。前夜は三時間ほどしか眠っていない。昼食と水分は少なかった」
診察室で親御さんの前からすべてを話しにくい場合は、受付へ記録を渡せるか、受診前に医療機関へ問い合わせてください。
本人が受診しなくても、家族だけで先に聞けることがあります
親御さんが「病院には行かない」と言ったからといって、ご家族まで何もできなくなるわけではありません。
最初の相談先として、次の場所があります。
かかりつけ医
親御さんが高血圧、糖尿病、睡眠、関節痛などで通院している場合は、家族から生活の変化を伝えられるか医療機関へ尋ねます。
医師は家族へ本人の診療情報をすべて話せない場合がありますが、家族が情報を提供することはできます。
「本人は受診を嫌がっています。最近の生活変化を家族から先に伝える方法はありますか」
地域包括支援センター
地域包括支援センターは、高齢者の医療、介護、生活に関する地域の相談先です。親御さんが介護認定を受けていなくても、家族だけで相談できます。
親御さんが住んでいる市区町村を担当するセンターへ連絡します。
「父に認知症の可能性を伝えると怒り、受診を拒否します。同じ買い物と支払い忘れが増えています。家族だけで、受診へつなぐ方法を相談したいです」
センターへ相談したからといって、直ちに介護認定や施設入所が決まるわけではありません。地域の医療機関や認知症初期集中支援チームなど、状況に合う次の窓口を一緒に考える場所です。
認知症疾患医療センター・もの忘れ外来
認知症疾患医療センターでは、認知症の鑑別診断や専門医療相談などを行っています。利用方法や紹介状の要否は医療機関ごとに異なります。
電話では、本人の年齢、変化した時期、受診拒否の程度、暴言や暴力の有無を伝え、家族だけの事前相談が可能かを聞いてください。
家族全員で説得すると、親御さんには取り囲まれたように見えます
きょうだいが心配して集まり、全員で受診を勧めることがあります。
家族側は「皆が同じように心配していると伝えたい」と考えています。しかし親御さんから見ると、自分の知らないところで話が進み、一斉に生活を変えようとしているように感じる場合があります。
本人へ話す人は、一度に一人か二人に絞ります。
- 親御さんが普段から話を聞きやすい人
- 過去の不満を持ち込まず、短く話せる人
- 怒られてもその場で言い返さず、会話を終えられる人
ほかのご家族は、出来事の記録、医療機関への連絡、通院の送迎などを担当できます。
遠方のきょうだいが「早く病院へ連れて行くべきだ」と言い、近くで対応する家族が疲れることもあります。
その場合は、「説得の回数」ではなく、担当を分けます。
「私が日常の変化を記録する。あなたは地域包括支援センターへ電話して、使える方法を聞いてほしい」
近くにいる一人だけが、怒りも手続きも引き受ける形にしないことが必要です。
暴言や暴力があるときは、介護の話より家族の安全を優先します
認知症の可能性があっても、家族が殴られ続けてよいわけではありません。
親御さんが興奮しているときは、説得、制止、物の取り上げを一人で行わないでください。
- 手が届かない距離を取る
- 出口をふさがず、自分が退避できる位置にいる
- 子どもや高齢の配偶者を別の場所へ移す
- 危険物を無理に取り上げようとしない
- 危険が続く場合は、その場を離れる
人を殴ろうとしている、刃物を持っている、制止できない状態で運転しようとしているなど、身の危険が迫る場合は110番をためらわないでください。
転倒やけが、意識の変化、突然の言語・運動障害などがある場合は119番です。
通報時には、次のように伝えます。
「高齢の父が急に興奮し、物を投げています。認知症かどうかは分かりません。家族だけでは安全を保てません」
状況が落ち着いた後も、暴力が繰り返されるなら、かかりつけ医、地域包括支援センター、認知症疾患医療センターへ、頻度と危険の程度をそのまま伝えてください。
「本人のため」と急ぐほど、生活を一度に変えないでください
認知症が心配になると、運転、通帳、薬、買い物、火の元をすべて止めたくなります。
安全上すぐ対応する必要があることはあります。しかし、ご家族だけで一斉に取り上げると、親御さんの警戒が強くなり、その後の支援を拒む可能性もあります。
変化を二つに分けます。
- 今すぐ危険を減らすもの:事故につながる運転、火災の危険、重複服薬、詐欺被害、暴力
- 時間をかけて方法を変えるもの:買い物、金銭管理、通院、家事、外出、連絡方法
危険性の低いことまで同じ日に変える必要はありません。
本人ができる部分は残し、難しくなった部分だけを支える方が、生活の変化を受け入れやすくなります。
次に怒られたときの「終了する一文」を、今決めておきます
親御さんをすぐ受診させることを、今夜の目標にしなくて構いません。
まず、次に話が荒れたときの一文を決めます。
「今日はこの話をやめるね。体調のことだけ、私が先生に聞いておく」
この言葉をスマートフォンのメモへ入れておいてください。
次に、親御さんの住む地域を担当する地域包括支援センターの名前だけ調べ、連絡先を登録します。電話は明日でも構いません。
親御さんが「認知症かもしれない」と認めなくても、ご家族は動けます。
病名をめぐる言い争いをいったんやめ、生活で起きた事実を一つずつ医療や地域の支援へ渡していく。その方が、本人の尊厳を守りながら、安全を確かめる道につながります。















